家族旅行中に白血病の宣告を受け、いきなり治療を開始することになった私の記録の続き。前回は、私が治療中にしてきたことと癌との付き合い方について書いてみました(ここ)。
今回はその反対で、治療中に「しないように」してきたことについて書いてみようと思います。どうしても、「癌」と言う響きに押しつぶされそうになり、やってしまいそうになること、病気の治療中に嫌でも気になってしまうことはあるものです。でもその中でも、より治療に集中し、自分の中の治癒力を最大限に引き出すために、少し意識してでも「しないようにしてきた」ことについて挙げてみようと思います。
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他人の情報に飲み込まれない
自分の病気について、治療についての情報を得て、深い理解を持つことはとても大切なことだと思います。抗がん剤によって引き起こされる副作用についても、心の準備をするために知っておきたいという人もいるかもしれません。しかしながら、私は副作用や体の変化に関する体験談は、治療前や治療中に見ないようにしていました。私は性格上、辛い副作用の情報を先に入れてしまうと、実際の抗がん剤からでなく、その情報そのものによって具合が悪くなったような気分になってしまうだろうなと思ったのです。あくまでも私の場合はですが、抗がん剤投与2日目、3日目などの体験談を読むことで、その方と同じ症状を自分で呼び寄せてしまうのが嫌だったのです。
治療が終わってから、同じような体験をなさった皆さんにエールを送る形で読ませてもらいましたが、治療中はそういった情報を抜きにして、ただただ自分の体と前知識なく対話をすることで、些細な変化に敏感であるように心がけました。知識として頭に入れていくのはいいかもしれませんが、他人の経験を鵜呑みにしないで、副作用の現れ方や症状の変化は、本当に人それぞれであると言うことを常に忘れないようにしていました。
ただ、癌への向き合い方や、周りの方との接し方、オススメの自然療法などの体験談に助けていただいたと言うのも事実で、だからこそ、私自身もこうして自分の体験をいまこうして書いているのかもしれません。
生存率を気にしない
ズバリ、そのままです。どうしても、癌=死と言うイメージはぬぐいきれません。しかし、生存率はあくまでも統計値にすぎません。そして、その数値は私とは違う、あなたとは違う、年齢も性別も、育った環境も、食生活も、生活習慣もそれはもう様々な人たちの統計結果です。私の生存率でもありません。あなたの生存率でもありません。だからこそ、当てはまる確率がわからない生存率を調べ、それに気持ちを動かされるのなら、「私は治る。それだけ。」でいいのだと思います。自分を信じることにエネルギーを使ったほうがいいと思うのです。
不安にならない
生存率と同じで、自分の時間もエネルギーも、 どうせなら治癒力を最大限に発揮するために、そして「今ここ」に生きている自分の生活を楽しむために使ったほうが賢明だと思うのです。だから、前回の「治療中にしたこと」にも書きましたが、病気について、今後について不安になるのは、いま病気と向き合っている人の担当ではないと思うのです。私の周りの家族も友人も、きっと多くの心配をしていたと思います。でも、私が彼らに「心配する」と言う仕事を任せたために、私はできる限り穏やかな形で治療の日々を過ごせたように思います。
今体調を崩されている方に、声を大きくして言いたい。
不安になるということを、他人に譲ってしまいましょう!
申し訳なく感じない
病気の治療が始まると、今まで行ってきた生活リズムに変化が起きたし、プロジェクトの案件をキャンセルしたり、家に子供達を置いて入院生活に入らなければいけなくもなりました。そのため、みんなに「申し訳ない」と言う感情が生まれたのは事実です。ただ、夫や子供達が一貫して伝えてくれていたことは、私が申し訳ないと思うことは何もないと。私は病気になってしまい、そのことは残念なことだけど、私が責任を問われるようなことではないと。
ある日いきなり歩いていたら頭に雷が落ちてきたことを「申し訳ない」と思わなくていいように、癌になってしまったことは私のせいではない、だから謝ることは何もないと。正直、そう言ってもらえたことは、大きな救いになりました。
プレッシャーを感じない
妊娠出産をした時もそうでしたが、癌になり入院、治療を開始すると、嫌でもどこか世の中から置いてきぼりにされたような気分になるものです。周りのみんなが前進していく中、自分だけが速度を失い、ポツンと残されたような気分になるものです。存在価値までとは言わなくても、自分は一体何をしているんだろうと思ってしまうものです。というか、私はそう思うことがありました。
そんな時、何度も自分に言い聞かせていました。
「私は、今を生きているんだ。より健康な未来のために、今を生きているんだ」
私は、しないようにと思っていても、ついつい他人と自分のことを比べてしまうことがあります。でも、実際、上記の生存率と一緒で、他人と私は育ってきた環境も、いまある環境も、食生活もライフスタイルも違うのです。同じように見えても、全く同じなんてことはないのです。他人と比較してプレッシャーを感じることはない、そう思うようにしていました。そして、肩の力を抜いて、治療に専念することを心がけていました。元気があるときに好きなことのために時間を使うようにしていました。
もちろんそれは、私が仕事をしないで治療・療養ができる環境にあったこと、家事なども含めて、必要なサポートが家族や友人から得ることができたという恵まれた環境にあったのは事実だと思います。
しかしながら、どんな状況にあっても、他人や世間からのプレッシャーを感じずに、立ち止まっていいのだと思います。
生きるスピードも、人と同じでなくていい。みんなが走っているときに、休んでいてもいい。仕事をしていなくても、何も生み出していなくても、そんな生産性はあなたの価値ではない。いまここに生きているだけで十分価値がある。
自分の子供になら何の躊躇もなく言えるこんな言葉を、私たちは自分自身にも届けてあげていいのだと思います。癌でなくても、何かの治療中でなくても、何の理由もなくても、そう信じていいのだと思います。ずっとそう信じ続けるのが難しくても、そう信じて休む期間が、深呼吸する時間があっていいのだと思うのです。
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コロナ禍での治療で見えたこと
私が治療を開始してすぐに、世界中がコロナの大流行に襲われ、多くの場所でロックダウンが始まりました。ここアメリカでも早い段階で外出禁止、子供達の学校閉鎖、オンライン学習が始まりました。私が入院中は、まだお見舞い客を受け入れてくれましたが、退院直後に病院での付き添いも制限され、多くの患者の方々が辛い時期を家族とともに過ごせなかったと聞きました。
私も、2回目の地固め治療からは、入院か通院かの選択ができたのですが、先の見えないコロナ禍で、病院への立ち入りを減らすためもあり、通院で抗がん剤治療をすることにしました。付き添いも禁止されていたため、夜中の1時過ぎにその日二回目の抗がん剤投与を終え、夫の待つ駐車場へ少しフラふらしながら一人で歩いて行ったというのも一度ではありません。
ただ、このパンデミックのお陰で、世の中の動きが今までのそれより少しスローになり、自分だけでない多くの人がおうち時間や家族の時間にいつも以上に目を向けるようになったことは、私には少し救いでもあったように思います。立ち止まっているのが自分だけでないということは、私にどこか安心感を与えてくれました。
でも、私がそのことを救いと感じてしまっていたのは、やはり無意識にプレッシャーを感じていたからだと思います。少なからずの不安があったからだと思います。今回「しなかったこと」とリストをあげて見ましたが、実はこれらは、口にしているほど強気を保てない、どうしても弱気になってしまう自分に対して、何度も言い聞かせていたことリストなのかもしれません。
ただ、もしいまどこかで病気や怪我の治療をしている人たちや、何らかの事情で他人の情報や世の中にある数値のでせいで不安を感じている人たち、生きるスピードの早さに違和感を感じ、それでも目に見えないプレシャーに押しつぶされそうな人たちがいたとしたら、やっぱり私はこう言うのだと思います。
そんなの全て「しないことリスト」に乗っけてしまって、思う存分休めばいいと。
不安もプレッシャーも全てスリングショットでどこかへ飛ばしてしまえばいいのだと。 (ここでやっとヘッダー写真に繋がる。という自己満足。) ----------------------------------
これは、ある日突然、急性骨髄性白血病との告知を受け、「白血病治療中」という新生活を始めた私が、寛解に至るまでの7ヶ月間、どのように癌と向き合い、毎日をより快適に過ごすために何をしたのかなど、「白血病暮らしのヒント集」としての記録です。自分の価値を押し付けたいのではありません。こんなことを感じて、実行した人がいたということを知ることで、何かのお役に立てたら幸いです。
これらの記録は医学的根拠に基づくわけでもありません。一口に白血病と言っても、それぞれの体調や置かれている立場は様々であり、これらのことが全ての人に当てはまる、役に立つとは限りません。それどころか、時には寧ろ治療の妨げになってしまうこともあるかもしれません。そのことをご理解の上、あくまでも参考程度に読んでいただけたらと思います。
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